コラム


by katorishu
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柏崎原子力発電所の火災

 7月20日(金)
■柏崎の原子力発電所の地震による火災等について、海外メディアも大きく取り上げている。国内メディアが東京電力や政府などに遠慮して、及び腰の報道を繰り返しているのに対し、海外メディアは地震国日本の原子力発電は大丈夫なのかと懸念を表明している。

■仮に神戸淡路大震災クラスの地震が襲ったら、どんな惨事になっていたであろうか。考えるとゾッとする。チェルノブイリ程度の事故が起これば日本の相当部分が、死の土地になってしまう。人間のやることに100パーセント完璧、完全ということはあり得ない。まして天変地異は人の力ではどうしようもない。地上に存在しない物質を創り出したときから、人類は犯してはいけない領域に踏み込んでしまったワケで、そのツケはいずれ人間に返ってくるだろう。

■原子力発電は石油にかわる「クリーンな」エネルギーとして、特に資源小国日本では積極的に進めているが、果たしてこの方向でいいのかどうか。専門家をまじえて徹底的に議論をしてもらいたいのだ。電力消費を押さえることで、原子力エネルギーに頼る比重をへらすべきではないか、とぼくは思っている。それでやや不便になるだろうが、それも結構ではないか。便利さとは裏腹に、極めて脆弱で、危険な文明を築いてしまったものと、あらためて思う。

■今後10年くらいの間に東京が大地震に見舞われる可能性は相当程度の確率であり得ると思う。ぼくの住む近くには何十階もの構想マンションが建っているが、地震などで電力の供給がとまりエレベーターが動かなくなったら、便利さが不便さの象徴になる。
 中東での大戦争の危険性も去っていないし、これまで通り日本に石油が供給される保証はない。だから原子力で……という理屈で、原子力発電所の建設を進めてきたのだが。

■機械等に頼り、便利さ、快適さばかり追求し「楽」をしようとすると、人間はどんどん弱くなり、本来もっている「機能」をなくす結果になる。
 現在、リハビリを専門に行う理学療法士を主人公にしたのラジオドラマを書いており、関連の資料を読んだり関係者に話を聞いたりしているが、「楽」をすると「一人歩き」できる人も出来なくなると実感する。例えば家の中をバリアフリーにすることがはやっているが、必ずしも「障害者」のためにならない。バリアフリーをもうけることで、「楽」をしてしまい、せっかくの「機能改善」の機会を奪うこともあるのである。

■子供の「ため」と思って親がしゃかりきになってやることが、子供をスポイルしていることがどれほど多いことか。光があれば必ず影がある。良いことづくめのことなど、地上にはないのだということを、知っておいがほうがいいと思うのだが。多くの人が便利さ快適さへと向かった走り出し、残年ながらもうとどめようもない。「快適さ」「便利さ」は「麻薬」であり、それを味わってしまった人はよほどのことがない限り、手放せない。そうして「よほどのこと」は刻一刻近づいている。
by katorishu | 2007-07-21 02:09