空気の読めない人、安倍首相
2007年 08月 02日
■参議院選挙で与党が大敗したが、総帥である安倍首相は続投を早々と決めた。「私をとるか小沢一郎さんをとるか」と選挙演説で絶叫したのに、負けるとその言葉を忘れたかのようで、与党内にも疑問の声が出ている。国民の「審判」は安倍政権に対してノーを突きつけたということである。
■どうもこの方は、場の空気が読めない人ではないかと思えてしまう。本日、事務所経費問題で話題になった赤城農水相が辞任した。とっくに辞任していなければならない大臣だが、当初、安倍首相は弁護した。先に辞めた大臣の件や自殺した松岡農水相の件、年金問題でも、当初の方針を世論の強い反発の結果、変更している。
■やることがすべて後手後手なのである。空気を読めない人だなと思わざるを得ない。危機管理の点から見ても、一国の最高指導者として適格性に欠けるといわれても仕方がない。多分に「小泉改革」の後遺症をひきずっており、その負の部分をもろに受けたという点があるにしても、負けは負けである。小泉・安倍路線の「市場原理主義」が国民によって否定されたということで、それは率直に認めないといけないのではないか。
■日本はアメリカの属国ではないのだから、アメリカ式市場原理主義をそのまま導入するのは感心しない。旧来の官僚システムや政財官の癒着の構造は打破すべきだが、どうも竹中平蔵氏らアメリカ帰りのエコノミストなどの扇動に、与党の議員は乗りすぎたと思う。
バブルを起こし、急激に冷やしたことで、日本経済は危機的状況に陥り指導層が慌てふためいたこともあるが、彼らは安易に竹中氏らの「処方箋」を信じすぎたのだと思う。今、そのツケがまわってきている。
■場の空気が読めない人というのは困りものである。ぼくの周辺にも、その類の人がいる。本人は一生懸命やっているつもりで、「こんなにやっているのに、どうして理解してくれないのか」と思っているようだが、空気が読めないため努力の方向が間違っているのである。そして、そのことに気づかない鈍感さをもっている。どうも「お坊ちゃん育ち」の人に多いようだ。
孤高の芸術家や隠遁者なら、なんら問題はないが、指導者となると、その類の素質をもった人は困りものである。
■国の指導者としては、国を傾けることになる。いずれ安倍首相は辞職を余儀なくされるのではないか。潔さがなくては「美しい国」というスローガンもうつろに響く。
結局、世襲政治家の弱点をさらけだすことになってしまった。中小企業の社長なら世襲も結構だが、国の命運を左右する国会議員や、閣僚、首相などに関しては、「親の七光り」で成り上がった「世襲議員」は願いさげにしてもらいたいものだ。
そういえば小沢一郎民主党党首も世襲でした。仮に政権をとるようになったら、そこまでが自分の役割と「謙譲の美徳」を発揮して、若い有能な「世襲でない」議員に指導者の地位を譲ってほしいものだ。ともあれ、政権交代こそが日本に民主主義を根付かせる最低条件であり、そこに向かって一歩近づいたことが、今回の国政選挙の最大の成果であったと思う。