政権の末期症状、防衛大臣と次官の醜い争い
2007年 08月 16日
■猛暑の終戦記念日。ともかく62年も「平和」が続いたのは江戸時代以来かもしれない。アメリカの「後ろ盾」があってこその「平和」であり、依然として米軍基地が存在している現実を考えると、手放しに喜べることでもないが。
アメリカは世界のいろいろなところで軍事力を誇示して戦争をしている。アメリカほど戦争好きの国家は第二次世界大戦以降、存在しない。日本も、いい加減で対米従属をあらため、核廃絶と国連重視、地球環境保護の面で、独自性を出してもらいたいものだ。
■防衛省の次官人事をめぐって小池大臣と守屋次官の間で「暗闘」が行われている。小池百合子大臣の独断専行も問題だろうが、防衛省の「天皇」と目されている守屋次官も「一公務員」の領域を超えた行動である。結局は安倍内閣の「お粗末人事」のもたらしたもので、末期症状を象徴する出来事である。背景に「防衛利権」やアメリカのネオコンの動きがあるという見方も否定できない。秋に安倍政権は支持率向上のため、「驚くようなこと」をしでかすかもしれない。そのこととも絡んでいるのかどうか。
■タナボタで防衛大臣になった小池百合子氏。かつて彼女がワールドビジネスサテライトのキャスターをしていたときはよく見ていたのだが、政治家になり、さらに権力者になると、おかしくなってしまうようだ。彼女の過日のアメリカでの言動は、日本人として恥ずかしい。ライス国務長官の「ライス」にひっかけて自分が「マダム寿司」だなどと恥ずかしいことを得々と語り、ライス長官とゴルフの約束をした、などと誇らしげに記者会見で語る。
■「外交」という認識に欠け、お友達関係をアピールするなど小泉前首相の物まねをしているのだろうが、自己PRが強すぎて勘違いをしている。「外交」とは相手国と叡智を賭けて実施する巧妙な駆け引きである。強いものにべったり寄り添って「よいしょ」することなど、誰でもできる。戦略的コミュニケーションの出来ない人物を国の防衛の要にすえることが、そもそも間違いである。小池氏はこれまでいろいろな党を渡り歩き、時々の権力者にすりよってきた。「電波芸者」といわれても仕方がない。
■そもそも、こういう人に投票する人の見識が疑われる。「有名だから」投票したり、その類の人が書いた本を買ったりする。「アホか」といいたい。テレビで顔を売った人には基本的に投票しないという気概を多くの国民がもって欲しいものだ。選挙は人気投票ではないのだから。テレビで顔を売っただけの「タレント」が国会議員に選ばれない時代が、いつになったらやってくるのだろうか。本を読まず、自分の頭でものを考えない人が増えている状況を考えると、この傾向がなくなることはないだろう。