歴史とは「事実」と「創造」のミックスしたもの
2007年 08月 31日
8月30日(木)
■ようやく涼しくなってきたので、外に出て歩くのが楽しみである。以前、片方の手にカバンを片方に資料類をいれた布袋をもって出歩いたが、最近リュックを使用している。某音楽家の葬儀の「香典返し」としてもらったもの。何10種類もの品物から選べる形式のもので、記念になれば、と残るものとして黒のリュックを選択した。
■写真とちがってじっさいに届いたものは、ぼくの好みとはややちがうものであったが、試みに資料や携帯パソコンをいれて外出したところ、楽なので、この半月ほど日々愛用している。おかげで、腕の筋肉が弱るのでは……と心配もするが、涼しくなればこれを背中に小一時間は歩いて、外の「仕事場」(喫茶店など)で仕事が出来そうだ。
■瞬時に気分を転換できるタチで、もしかしてそれが最大の「才能」かもしれない。おかげで、複数の仕事を並行して出来る。こういう「才」が、よく眠れる方向で働いてくれるといいのだが、眠る才能は貧困そのものである。横になったら数分で眠れる人がいるが、ぼくから見たら「大天才」である。
■昼間、溜池山王駅近くの某所で仕事の打ち合わせ。大組織と著名な人のからむことで、間に立つ人はなかなかむずかしい選択を迫られるようだ。
ついでの雑談で関係者から、著名人二人のその人ならではの、ユニークで面白いエピソードを聞いた。こういう話は、その人の「名誉」にもかかわるので公開するわけにいかない。マスコミの片隅に生きていると、表にできない「面白い話」は至る所にある。歴史上も、「現実にあった」ものの記録として残らない(残せない)ものは、記録として残っていることの何十倍、何百倍もあるのだろうな、と思う。
歴史とは「事実」と「創造」のミックスしたものである、とこのごろつくづく思う。