経営者の風上にもおけない船場吉兆の経営者
2007年 11月 18日
■高級料亭「吉兆」グループの船場吉兆の偽装表示問題は、「高級ブランド」なるもののまがまがしさの一端を垣間見させてくれた。料亭で出していた8400円もする「但馬牛すき鍋御膳」と「但馬牛網焼き御膳」も、実は但馬牛ではなかったと、本日の新聞が指摘していた。
■経営者が偽装表示問題で、当初パートに責任をおしつけていたことも発覚した。経営者みずからが指示した偽装を、事件が発覚するともっとも弱いパートに責任をおしつけるなど、最悪の対処の仕方であり、それこそ「経営者の風上にもおけない」人物である。
■考えてみれば、一連の企業の不祥事が表にでるきっかになったのは、ほとんど内部告発である。正規社員をはずし、安い給料でこきつかえるパートやアルバイト等、非正規社員を増やしたことで、不祥事が容易に世間に出るようになったとは、大いなる皮肉である。人を安くこきつかって、自分たちの利益を増やそうとする試みが、かえって多大の損失を計上することになり、場合によっては会社が存亡の危機にたたされる。経営者はこの事件から多くを学んだのではないか。
■地球の資源がかぎられている中、「共生」、共に生きるということが今ほど必要なことはない。豊臣秀吉の時代はともかく、江戸時代このかた、利益を独り占めにする、つまり「我欲」をかくということは、日本社会では軽蔑の対象で、恥ずべきことであった。1970年代ぐらいまでは、その精神が生きていたのだが、バブル経済のころから「儲かれば何でもいい」といった風潮がはびこり、今も続いている。
■ところで、今「和」が静かなブームになっているようだ。過去の日本文化や過去の生活様式の中に積極的な意味や価値を見いだそうとするもので、まずは歓迎したい。自然環境が危険水域にはいりつつある現在、「リサイクル社会」がきわめてうまく機能していた江戸時代から、学ぶべき点が多い。戦後は一貫してアメリカから学び、アメリカ的生活様式こそ「夢」という時代がつづいたが、この10年ほどでアメリカも相当おかしくなっている。おかしさを真似る必要はないのではないか。
■ここは他国ではなく、自国の過去から学ぶべきものをさぐっていきたいものだ。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といわれるが、世の指導層こそ、この言葉の意味を深くかみしめて欲しい。本日は雑誌連載原稿を完成したあと、資料読みに大半の時間を費やした。昔の人の生き方が面白すぎて、つい余計な文献に手をのばしてしまう。そうして改めて思う。本ほど面白いものはないと。