店には、お客が来る店と来ない店の二種類しかない
2007年 11月 24日
■夕方近く、大井町駅付近を歩いていて、衝動的に牛丼チェーン店、松屋にはいって350円のカレーを食べた。案外、美味である。以前、松屋で販売していた290年のスパイシー・カレーは値段の割に美味で、しかもここはみそ汁のサービスがある。そのためときどきカレーを食べることがあったが、最近は店に入ることもなかった。
■肉類はあまり好きではないので牛丼を食べることはないが、カレーについては以前と比べ「競争」の成果なのか味がずっと良くなっている。食堂などで出す600円程度のカレーより、ずっと美味であり、24時間営業というのも、消費者にはありがたい。
■チェーン店の居酒屋が増え、中にはただ脂っこいばかりで「これでよく金をとるな」と思われる店もあるが、少なくとも「味」については随分と向上した。一方、個人商店が減っている。店主が個性的な店作りをして営業をつづけている店がある一方で、旧態依然とした経営を惰性でつづけ、「お客がこない」と嘆く店もある。
■「お客がこない」店には、それなりの理由があるようだ。食べ物屋で、従業員の言動にリズムがない店は、お客がはいらない。素朴で懇切丁寧なのは、それなりの「個性」であり悪くないのだが、店の人間が私語ばかりして動きが鈍い店は、まず料理がなっていないと思っていいだろう。食べ物屋でお客のはいっていない店には、人は寄りつかない。
■服装ひとつとっても、季節が変われば身体の防御のためにも「衣替え」をする。北風が吹いているのに、春風が吹いていたときの気分でやっていては、競争社会の中、落ちこぼれてしまう。趣味でやっているのならともかくビジネスの論理は非情であり、弱肉強食の世界である。流行っていない店は「防御の姿勢」が甘すぎるという印象である。
■以前、北千住で何度かいった「寿司食堂」が閉店したという。カウンター席は5,6人しか座れないので、お客は奧の座敷に座るのだが、いついっても客がいたためしがなく、奧の座敷はお客が座敷にあがってから明かりをつける。「この店、いつまでもつのかなあ」などと脚本アーカイブズの委員諸氏と話したものだが、やはりつぶれた。
■創意工夫が足りないのである。個人経営で長くやってきた人は、過去の「成功体験」に安住してしまうのか、創意工夫が足りないケースも多い。我々もふくめ「フリー」の職業や中小零細はとにかく「創意工夫」を第一に心がけないと生き残れない時代である。時代の風潮を嘆くのではなく、ヨットのように逆風をむしろ利用して前に進むといった知恵を働かせたいものです。
■喫茶店で仕事をしながらたまたまつけたNHKのラジオ第一放送で「美しい昭和モダンの音楽」を耳にした。昭和初期の音楽の良さを改めて実感する。作曲家の服部良一の歌をとりあげた3時間ほどにおよぶ番組で(とびとびに聞いただけであったが)小夜福子の歌う「小雨の丘」など哀愁に満ちた秀逸の歌で、この歌をメインにすえた舞台をつくりたいと思った。時間とお金の余裕があれば、自腹を切ってでも音楽をまじえた昭和初期の舞台を作・演出したいのだが。どうも両方から「見放されて」いる。