コラム


by katorishu
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自己中心人間の増殖

 11月1(月)
 三軒茶屋まで歩き、コーヒー店の二階で本を読んでいたときだった。一人の若い女性が四人がけの席に座りテーブル一杯になにやら資料を広げ、勉強らしきことをやっていた。
 そのこと自体は本人の自由なので、どうこういうべき問題ではないが、店内がこみあってきているのに、若い女性は我関せずとばかり、一人で四人分の席を占領して何とも思っていないようだった。
 ぼくは本を読んでいたが、気になって仕方がなかった。一人分の席に分けることのできるテーブルで、店が混んできたときに、テーブルを離して、他の人に席を譲るということをいつするかと思っていたが、その女性は2時間近くが経過しても、ついぞそういうことをしなかった。ぼくが店に入ったとき、すでに四人分を占拠しており、出るときも携帯で話していてあと一時間ほどここにいるといったようなことをいっていたので、数時間、四人分を堂々と占めることになる。
 店員もアルバイトなので、注意をしようとしない。

 電車の中などでも、隣りの席に自分のバッグを置いたりして二人分を占拠して平気でいる人が最近よく目につく。
 小さいことかもしれないが、案外、今の時代を生きる人たちの意識を反映している出来事かもしれない。
 要するに自分さえよければいいのである。「個幸」という言葉があるそうだ。誰かの造語だが、自分さえ幸せなら他はどうなったって関係ないという生き方のことである。
 共に享受するといった意識が欠如しているのである。ぼくの見聞する限り、比較的若い人に多い。 
 車の中などで見るに見かねて注意した人間に過剰に反応し、注意した人に暴力を振るうといったことも、ときどきマスコミのニュースになる。

 一人っ子で、甘やかされ、我が儘に育ったことと関係があるのか。それとも学校教育や家庭でのしつけの問題なのか。いろいろの要因があるのだろうが、以前に比べて、この類の人間が増えているという気がする。

 ちょっとした気遣いに、欠けるか、気づかないのである。例えば前を歩く人がなにかを落としたとする。以前であったら「落としましたよ」と声をかけるのが普通であったのだが、今は知らん顔をしてそのまま行ってしまう人が多い。声をかけるのが恥ずかしいと思っている人もいるようだが、忘れ物や落とし物をした人にとっては、深刻な場合もある。
 
 一声かけてやれば、大いに助かり感謝もされるのだが、それをしない。落としたまま行ってしまったことで、その人がどれほど困ったり、窮地に陥ったりすることか、想像力が働かないのである。働いたとして、その人が困惑し焦るのを、想像するのが楽しいと思う歪んだ精神の持ち主も案外多いのかもしれない。
 
 自分がその人の立場になったら困る。だから、一声、声をかけてやろう。それが人間として当然持つべき常識だと思うのだが、いつのころからかそんな常識が壊れてしまった。
 若者ばかりでなく、おじさん、おばさんたちの間でも、「自己中心人間」は増えているようだ。他を顧みる余裕がなくなっているのかもしれない。

 日本は他の先進国と比べて、ボランティア活動があまり盛んではないが、そんな傾向とも関連があるのだろう。
 政治や経済のリーダーの多くが、そもそも自己中心人間なのだから、どうしようもない。子は親を真似、下は上を見習うのが世の常である。
 自己中心人間の増殖は、やはり指導層のモラルの低下が最大の要因と考えるべきだろう。
by katorishu | 2004-11-01 00:58