知力の欠如
2007年 12月 18日
■福田内閣の支持率が急落している。内閣成立直後、このブログで年末までに支持率は30%台にさがるのでは、と確か書いた記憶がある。「素人考え」でそう思ったのであり、庶民感覚といいかえてもいい。総理になってこの国をこう変えるといった強い意志も迫力もなく、棚からぼた餅式に総理になった「世襲議員」である。複雑多岐にわたる政治を牽引する知力も迫力も胆力も、足りない方というしかない。
■見るからに「人は良さそう」である。しかし、宰相としては「人がいい」だけでは、今のような危機の時代にふさわしくない。結局、官僚政治の上の帽子になっているようだ。右肩上がりの経済のもと、対米従属していればいい時代は終わったのである。内外ともに、人にぬきんでた知力と胆力、判断力、想像力、交渉力などの持ち主でないと、総理の重責は勤められるものではない。それと、根底に人間に対する優しさと誠実さがないと。
■知力はありそうであったが、馬脚をあらわした人に舛添厚生労働大臣がいる。野心や野望が過剰すぎると「知力」も影ってしまう。当初いっていたことを、ころころ変えるのも指導者としてふさわしくない。この時代、首相はもちろん大臣クラスの器は、「並」ではつとまらない。議員に「なりたい人」ではなく「なって欲しい人」がもっと登場しないと、本当に日本は危ない。
以下を参考のため、ご覧下さい。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=37650&media_type=wn&lang=j&spkid=578&time=04:49:56.1
■日頃のマスコミでの言動などを垣間見たり、論文などを読む限り、民主党の若手議員のほうに「知力のある」議員が「比較的多く」いるようだ。
今の日本に最も書けているのは「知力」である。活字を読まなくなったことのマイナス面が端的にあらわれているのだろう。むしろ中高年が本をあまり読まなくなった。自分たちが読まずに、若い人に読めといっても説得力がない。
■「知力」とは「学歴」や「学力」ではない。自分の頭で深く考え、現実を抽象化して分析し、本質を抜き出す能力といってもいい。そこから確固とした自分の考えが生まれ、他者を説得する技術も生まれると思うのだが、「エリート層」にもそれに欠けている人が増えている。防衛省の守屋次官など、あんな接待を受けてずっと発覚しないと思っていたのだろうか。空気も読めない人が日本の安全保障の要にいた――これはすでにブラックユーモアである。
■考えを深めるためには、相応の「基礎知識」が必要だが、さらに必要なのは言葉を読み解く能力である。最近、ケータイ小説がよく読まれているとかで、それによって読書の習慣がつくのでは――と期待すムキもあるようだが、あの類のものをいくら読んでも「知力」のアップにはつながらないし、読み解く能力も養われることはない。早く「卒業」して、次のステップにいく人が多くなれば、ケータイ小説も効用があったということになるのだが――。