コラム


by katorishu
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明るい話題

 11月6日(土)。
 明るい話題を探そうとするのだが、なかなか見つからない。ブッシュ大統領の再選を小泉首相や経済界などは歓迎しているようだが、どこが明るいのか。イラク情勢はますます混沌を深めているようだし、「テロの撲滅」をブッシュ政権は相変わらず叫んでいるが、力で封じ込めることは不可能だろう。
 なぜ「テロ」が発生するのか、根本のところを改善しない限り、今にとんでもない事態が発生するような気がしてならない。

 ニューヨーク4日共同によると、国連経済社会局は4日、西暦2300年の世界の人口はインドの約13億7100万人を筆頭に、現在の約64億人から約90億人に増加するとの長期的な推計を発表した。
 日本の人口は2000年の約1億2700万人から約1億人に減少するとし、世界順位も9位から18位に下がると予測している。
 減少するのは日本などわずかの国で、多くの国では人口は急増している。国連のこの報告は、途上国を含めた出生率が長期的に女性一人当たり2人程度の出産で安定するとの予測に基づいた推計だ。
 仮に現在の出生率が今後も継続するとすると、2100年の人口は、なんと440億人、さらに2300年には最大で1兆3400億人になるという。

 どんなにバイオ技術が発達しようと、これだけの人口を養えるものではない。まして、現在発展途上の道にある国の人たちが、日本など先進国並の生活をしようとしたら、消費エネルギーも膨大なものになり、地下資源は枯渇、環境は人類の生存が危機になるほど劣化するだろう。
 日本に限っても、そんな遠い先のことを考えなくとも、どうも「お先真っ暗」という状況である。「週刊現代」に堺屋太一氏が、団塊の世代が定年になる2007年ごろから、彼らのライフスタイルによって、別の価値観が根付き、ハッピイな時代がやってくる……と楽観的な見通しを語っていた。
 堺屋氏の「こうあって欲しい」という願望がこめられているようだが、果たしてそうなるかどうか。膨大な人口をかかえる彼らが、ありあまった余暇を、もっと文化や芸術活動に使ってくれることを、期待したいのだが、この世代、物、物、物……にとらわれ、物質的豊かさこそ「幸福」という生活感がしみついてしまっている。
 それをぶちこわし、もっと精神的なものに打ち込み、努力をし成果をだすことが、「幸福」、つまり「心の豊かさ」を目指すとしたら、希望も出てくるのだが。
 ここは堺屋氏の希望的観測に期待したい。

 ぼく個人についていえば、11月、12月、1月と、いろいろと引き受けてしまった仕事があり、それが思うように進まず、日々焦りの中にいる。文筆業など、「居職」であり、当然、神経をすりへらす仕事なので、腰痛や十二指腸潰瘍などが「職業病」となっている。
 どうやら、この二つから免れているものの、眼精疲労は激しく、鏡を見ると目の周辺に疲れが淀んでいる。
 たまに電話をかけてくる友人から「声に元気がないね」といわれる。声にはその人間の体調や精神の有りようが、案外、はっきりと現れるものだ。
 執筆等で、確かに疲れていることは確かだが、そればかりではない。日本全体を覆っている、なんとなく晴れないムードといったものに、ぼくも自然、感染しているにちがいない。

 それと、やはり加齢である。いろいろ、あれもやりたい、これもやりたい、と思うことが山積しているのに「持ち時間」が少なすぎる。そして、テレビにせよ映画にせよ、活字の仕事にせよ、こちらが本当にやりたいと思う企画は「当たらない」「売れない」といった理由で、なかなか通らず、「世間」との違和感は強まる一方だ。
 そして、身近な人たちの病気やいろいろな不幸……等々。

 どうもハッピーにはなれない。かといって、他の多くの日本人と比べて自分が不幸かというと、そんなことはない。なんとなく真綿で首をしめられていくような気分であり、これはどうも多くの日本人が現在、味わっている感情のようだ。
 ここまで書いてきて、身近なことにでも、なにか明るい話題は……と探そうとするのだが、残念ながら、思い浮かばない。
 ぼくの周りを見ても、心から明るく笑える人は、じつに少ない。表面、幸せを装っていても、一皮めくると、ちがう事態が進展していたり。子供のころ、毎晩のように我が家に愚痴話にやってくる機屋のおかみさんがいた。その人がよくいっていた言葉は、「この世は苦労の娑婆」ということだった。50年以上前のことなのに、そのおかみさんの口調や表情までよく覚えている。
 なるほど、この世は「苦労の娑婆」なのか。すると、苦労がちょっと消えたり、苦労の負担がちょっとでも軽くなったときが「明るい」ということなのだろう。
 そういうことなら、「明るい話題」もないことはないのだが、敢えて記すことでもない。
by katorishu | 2004-11-06 06:23