コラム


by katorishu
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事業を成功させた人はシンプルな経営哲学をもっている

 10月18日(土)
■昨日、T財団の支援説明会にいったあと、夕方、428会の集まりに。こちらも久しぶり。ワールドの宣伝部にいた渋谷さんが、当時の創業者について、その経営の神髄を語る。戦後、淡路島出てきた高卒の男が衣料品卸の事業をはじめ、その後、独特の経営哲学で事業を発展させ今では業界ナンバー2,子会社までいれると従業員2万人を超える大会社にまでにさせた。

■そんな企業経営のエッセンスを、部下であった渋谷さんがまとめた。FM放送で「ワールド・オブ・エレガンス」という細川俊之がナレーター役の番組は17年間もつづいたという。その番組を担当していた西原さんもきていた。アパレル業界が惨状にある中、ワールドは好調のようで、その成長の秘密は社長の「経営哲学」にあるということが、よくわかる。彼等はある種の「物語(シナリオ)」をつくり、それを実現させた人たちである。」

■組織にとってリーダーがいかに重要な存在か、あらためて実感。激変期、既成の思考の枠にとらわれていては駄目であり、困難な状況があったら、人に頼るのではなく、みずから知恵を絞って悪戦苦闘しながら打開していく。そういう、たゆまざる努力のあるところに幸運の女神は微笑む、ということを改めて実感する。。

■ブログのコメントに、日本の脚本家の現状はひどく、こんなやりがいのない職業はないと記されていた。世の中はいつも動いており、あるとき光があたったかと思うと日陰になり、雨になったり、反対に逆風がふいてばかりいたかと思うと、雲がはれ光がくる――といった例は、どの分野でも数知れないほどある。この世は常ならず、山あり谷あり、が人生の実相である。

■必要なのは、現状を打破していく「個」の力である。脚本が不利で割の合わない仕事と思っていたら、さらに一歩すすめて自分で脚本を、自分で監督して映画をつくってしまうくらいの積極性をもつことだ。そういう人は何人もいる。大学の授業などでも、ぼくは生徒に繰り返しいってきた。「(映像)作家を目指すのなら映画であり、脚本を書くだけでなく監督をする気持ちで努力をするように」と。

■今年度の邦画の傑作のひとつと思える「100万円と苦虫女」のタナダユキ氏も脚本と監督を兼ねている。脚本家から映画監督になった知人の小林政広氏など、最初数百万円で映画をつくり、ねばりづよく作り続けてカンヌ映画祭に出品するようになった。去年、ロカルノ映画祭で受賞した作品など、脚本、監督、主演までこなしている。別に彼は金持ちのぼんぼんでもなく、悪戦苦闘してお金をあつめ、そんな「プロジェクト」を形にしてしまったのである。その後、借金もかかえ、楽ではないようだが、でも、「作家」としての精神を貫いている。

■ほかにも脚本と監督をかねて佳作をつくっている人は多い。要するに「作家」にならなければ、いつも他人の「縁の下」の力持ちでしかないということである。現状のテレビドラマは今後衰退の一途というのが、長くこの分野で仕事をしてきた関係者の一致した意見である。テレビそのものが、「斜陽産業」である。だから、ここにすがりついている限り、いくらユニオンをつくって「団結」しても、状況はかわらない。そういうところに仕事の注文がこなくなるだけである。

■アメリカのライターズ・ギルドのストの最中、ハリウッドのプロデューサーにあったり、ライターズ・ギルドの理事にあって話を聞いたりした。日本もこうしたらいい、と思ったが、社会の基盤に違うし、日本では未だ道通し、と思ったことだった。
 
■脚本家の仕事はなにもテレビにかぎらないし、向こうから「来る」仕事を待っているだけでは「受け身」になる。自分で企画をたて、シナリオを書き、これを制作する会社がないか10でも20でもあたって、どこものらなければ、みずから資金をあつめ、原作をかいたりして、原作脚本監督製作の映画をつくることも選択肢にいれる、くらいの気概が欲しい。昔とちがって映像作品は、「誰でも作れる」ようになったのである。

■拙作「すべては脚本・シナリオから始まる!」は、そういう気概のある「映像作家」に対するぼくなりのメッセージをこめている。自分の本当に描きたい作品を作るには「映像作家」にならなければだめで、それができるのは「映画」である。そうして、そのためにこそ「まず脚本がある」といいたいのである。
 映画学校などでときどき教えることがあるが、みんな何を目指しているときくと、10人のうち8人が「監督」という。監督になる近道のためにも、まず良い脚本を書けなくては――というのがぼくの持論である。今村昌平監督も黒沢明監督も、世界に名の知られている「映像作家」はみんな自分で脚本をかく。(脚本家と共同で書くケースがおおいようだが、最終的には自分で手をいれる)。
 映像作家までふくめれば、脚本家はかなりやりがいのある職業であり、その可能性がある。時代に自分を合わせるのではなく、時代を自分に合わせるくらいの気概がなくては、「既得権益」の岩盤をつき崩せない、と思うのである。
by katorishu | 2008-10-18 10:12 | 文化一般