2006年 06月 06日 ( 1 )

 6月5日(月)
■六本木の日本放送作家協会の事務局に15時から18時ごろまでいた。近くの六本木ヒルズでは例の村上ファンドの村上代表逮捕の関連で記者たちが動きまわり、騒々しかったようだ。
 六本木ヒルズの建物を仰ぎ見るたびに、今の日本の「荒廃の象徴」と思ってしまう。

■午前中、寝床でテレビをラジオで聞こうとスイッチをいれると、突然、村上ファンド代表の甲高い声がはいってきた。逮捕前の記者会見をやっていたのである。
 テレビをつけて、しばし聞いた。ホリエモン逮捕のように「格好悪くなく」、あるイサギヨサをだして「お縄に」つくという、彼なりの「美学」を演出していたのだろうか。
「金を儲けることは悪いことですか」と記者の質問に彼は反論していた。法律の範囲内で儲けることは資本主義社会なので悪いことではないが、法律すれすれや法律の抜け穴をさがして、なにがなんでも儲けに走るというのは、ぼくなどが考える「日本人」とは異質である。

■金儲けの能力があるのだから儲けて何が悪いという開き直りにも聞こえた。「努力したものが報われる社会を」と竹中大臣などが声高に主張していたが、ある種の人たちが有利になるよう法改正をし、テコの原理を利用して過剰に儲ける。それが当然だとして、もてはやされるという社会は、多くの人にとって決して望ましい社会ではない。
 ある人物が過剰に儲ける影には、損害を被り追いつめられる企業や個人がいるのである。

■競争原理至上社会のなか、競争に敗れて自殺をする人も絶えない。儲けに儲けた「勝ち組」と称する連中は彼等のことを一顧だにせず、単に「弱いやつ」と切り捨ててテンとして恥じないのだろうか。以前の日本社会ではその類の人間は「欲張り」とか「ガリガリ亡者」といわれて尊敬されることはなかった。

■アメリカに戦争では負けても、「なんでもカネカネのアメリカ人とは違う」という自負心をもった日本人が、すくなくとも東京オリンピックの前ごろまでは、かなりの数存在した。子供のぼくはそんな発言をする「貧乏な大人」の話を何度となく聞いていた。
「武士は食わねど高楊枝」の精神である。そんな精神が人間の品格につながっていたのだが、今やその種の人間は絶滅品種になろうとしている。町にあふれかえっているのは、「数字(カネ)」の亡者か、この予備軍である。

■戦後の「平和ボケ」のなかで、悪い意味の「商人国家」になってしまったのである。国策捜査という声もあるが、ホリエモンにつづく村上逮捕は、よかったことだと思う。
 それにしても、村上ファンドと提携し、積極的にバックアップしてきたオリックスの宮内義彦氏が、マスコミ取材に対して無言のまま逃げるようにしていた姿勢はいただけない。

■小泉内閣の「改革路線」を竹中総務相とともに推進した進行役である。このような事態になったことについて、責任ある言葉を発すべきではないのか。もしかして、いずれ自分にも問題が波及すると考えているのかどうか。金融コンサルタントで竹中側近の木村剛氏などに対しても、検察は注視しているという情報がある。

■ついでながら、例の日歯連への1億円不正献金問題で橋本元首相は自分の罪を回避するため、かつての盟友の村岡元幹事長に罪を着せ、逃げ切ったが、この人に比べれば、村上氏のほうがずっとマシであった。検察はこの問題こそ追及しなければいけないのに。
 なお、小泉首相が国会の会期延長をみとめなかったのは、この種の不正が続出し、国会で追及されるのを回避したため……という説もある。
 村上氏など「中悪」である。「巨悪」jはのうのうと眠っているのかもしれない。

■本日は幼児殺しの畠山鈴香容疑者、逮捕のニュースもあった。彼女の映像を見ていて気づいたことがある。口元にまるで締まりというものがないのである。目と口はその人間の精神性の素直に反映するものだが、いつも口をあけている、あの締まりのなさは大変気になった。この種の顔に茶髪の人間が、渋谷あたりに徘徊している。多くは女子中学生や女子高校生である。言動に締まりがなく、だらしがなく、言葉づかいも下品で、美しくない。
 電車に乗っていても、この種の若い女性が多い。彼女たちが明日の日本を支える子供たちを生み育てていけるのだろうか。遊びが先行し、生まないというのなら、まだそちらのほうが良いのだが。
 少子化の問題を考えあわせると、日本の未来は、やはり限りなく暗いですね。
by katorishu | 2006-06-06 00:47