2006年 12月 18日 ( 1 )

 12月17日(日)
■王子駅から都電荒川線で二つめの梶原駅でおり、某家にうかがう。取材の一環である。昭和の初期、モガの典型ともいえる「自由奔放」な生活をおくり、0SK(大阪少女歌劇団)をへて、上海にわたり、歌手をする一方、某財閥家の御曹司に恋をされて結婚するが、間もなく離婚。その後、某氏との不倫の恋をする。某氏は転勤でニューヨークにいくものの、間もなく真珠湾の攻撃で日米戦争に。某氏はアメリカ人の妻と正式に離婚をし「交換船」で帰国。戦後、彼女は某氏と結婚するものの間もなく某氏は病死。

■以後、女手ひとつで、「商才」を発揮し、巨万の富を築いた。そうして、晩年近く私費を投じて某科学財団を作る原動力になった。すでに故人だが、その女性の係累の方に話を聞きにいったのである。何分、彼女は20年ほど前に病死し、日記や手紙類もないとのこと。面白い人生だが、一冊の本にするには資料不足である。
 とくに若い頃、欧州にいくつもりが上海で「途中下船」してからの有為転変の人生がドラマティックなのだが。本日お話をうかがった関係者もすでに80の半ば。ほかに彼女を知る関係者も物故してしまったそうである。

■彼女が亡くなったとき、子供などもいなかったので、「遺品類」がトラック2台分廃棄されたという。彼女の広大な自邸が財団の場所になったのである。
 あと10年早かったら、関係者の話を聞けたのにと思った。彼女の若いころを知る関係者がいないのでは取材のしようもない。

■資料に関してはこれまで残念に思ったことが何度となくある。15年ほど前、戦前の陸軍大学の教授をしていたIさんにお話を伺おうと思い電話をいれた。本人は体調が悪く取材に応じられる状態ではないという。資料が手元にあるとのことだった。いずれお宅にお伺いして見せていただくと約束をした。後日、連絡をとると、Iさんは亡くなられていた。応対にでた夫人に資料の件を話すと、廃棄してしまったという。戦前の日本の情報機関関連の貴重な資料もあったはずなのに、残念に思ったことだった。

■日本では紙と木の文化をもつ伝統だからなのか、当人が亡くなれば「水に流す」という「いさぎよさ」があって、どうも体験を記録し保存する伝統が薄いようだ。「記憶」を記録保存することは、体験や文化を次世代に継承するうえでとても大事なことだと思うのだが、どうもその意識が低い。過去や過去に生きた人々の「記憶」こそ、未来を予測したり今をよりよく生きる上で重要な土壌になるはずである。
 また過去は情報の宝庫であり、その時点では「つまらない」と思われる素材や資料も時間が経過すると、「宝もの」になるのだということを、多くの人に知ってもらいたいものだ。

■現在の戸籍法では人は死後、80年たつと「除籍」つまり戸籍から抹殺されてしまうという。公的には、その人が地上に存在したこと自体が消えてしまうのである。寺には過去帳の形で残ることもあり、先祖を大切にする子孫がいれば生きた記憶は継承されていくのだろうが。ついでながら、日本のような戸籍制度が存在するのは、韓国と中国だけである。いずれも日本が植民地化した国であるという点が面白い。前科なども戸籍にはついてまわるので、人によっては迷惑な制度かもしれない。

■以前は他人の戸籍を自由に閲覧できた。そのことで迷惑を感じた人も多かったのではないか。ただ、今でも役所の係員などの目には触れる。最近、役所にも「派遣」の人が多くなったそうで、個人の重要な情報にも接することができる。守秘義務はあるのだろうが、派遣はあくまで一時的なので、いずれ問題が起きる可能性がある。
by katorishu | 2006-12-18 00:23