2008年 12月 29日 ( 1 )

 12月29日(月)
■コーヒー店を4軒まわり、計9時間、執筆作業をしたので、目がしょぼしょぼで、文字がかすんで見える。毎度感じることだが、時間の経過の早さに驚く。1時間ぐらいたったかと思って時計を見ると、3時間がすぎている。逆に考えればそれだけ中身に打ち込んでいることを意味するが。人と待ち合わせをした時など、20分ぐらいでも相手が遅れると、やきもきする。待っている20分は充実していないので、時間が長く感じるのである。

■人の気分、感じ方の問題である。作品についても、ほんとに人によって様々で、ある人にとって「面白い」ものが、ある人にとって「つまらない」。その落差に愕然とすることがある。逆に人の感じ方、受け取り方も、じつにさまざまで多様であるいうこともできるが。
 今はテレビはもちろん、映画も本も「数の多いほうが良い」という唯一の価値観が定着してしまっているので、10人のうち1人が非常に面白いというものが、抜け落ちていく。

■そういうものを創る人が、排除されがちなのである。ビジネス論理だと、数字がすべてを決めていく。すべてにビジネスが優先する社会というのも、大いに問題である。昭和40年ぐらいまでは、多くの冠婚葬祭はじつは「ビジネス」ではなかった。地域の共同体の催しという傾向が強いものだった。結婚式なども、自宅で行われたし、葬儀は「地域」住民の協力で行われた。子供のころ自宅で行われた結婚式を覚えているが、とても良い雰囲気で面白かった。いまでも、ヨーロッパの田舎などではそれが一般なのではないか。

■結婚式はもちろん葬儀も、いつのころからか「ショー・ビジネス」になってしまった。そうなってから、結婚式はもちろん、葬儀にも出席したくなくなった。どうしても義理で出る必要がある人が関係する以外は欠礼したい、と思っている。もっとも、浮き世の義理でなかなかそうもいかないが。「未曾有の経済危機」を奇貨として、社会のシステムや慣習などもかわることを期待したい。

■最近の中高生は、ほとんど本を読まなという調査を何かかで読んだ。一方で、今の小学生はかなり本を読むそうだ。学校教育の結果であるという。ぼくは、比較的よく本を読むという今の小学生に期待したい。この層が社会の中核を担うときまで生きていないので、どういう社会になっているかわからないが、期待はもてそうだ。逆にいえば、その層にしか期待がもてそうにないということで、ごく一握りの人をのぞいて次代を担う層にほとんど期待を持てないというあたりに、現代の混迷がある。
by katorishu | 2008-12-29 21:37 | 文化一般