2010年 02月 22日 ( 2 )

 2月22日(月)
■昨日は根を詰めて10数時間、パソコンに向かって執筆作業。本日朝一で送る原稿のためだが、久しぶりに対象に入り込むことができた。「面白かった。ありがとうございます」と電話で受取手の反応。
ところで、ぼくは自分の健康の具合について、手の甲と手の爪で判断することが多い。比較的よく睡眠がとれ、内臓の調子が良いときは手の甲に艶があり、爪も光っている。反対のときは露骨に手の甲が荒れて来る。顔色にも当然、体調が出るのだが、ぼくの場合、基本的に、睡眠がよくとれたか、とれないかによって決まる。日によって声の調子まで極端に違うし、脳の働き具合も別人のように違う。従って、接する相手によって、「この人、ちょっと回転が鈍いな」という人と「頭脳やや明晰」と思う人がいるのではないか、と思ったりする。本日は「頭脳やや明晰」の日であるが、あいにく誰とも会う予定はなく、近々締め切りの原稿書きをする予定。

■本日たまたまテレビで聖路加病院院長の日野原重明氏を見た。97歳で、あの若々しさ、前向きかつ精力的な生き方には感動する。食事も簡素そのもので、エレベーターなどもあまりつかわず、とにかく歩く。労をいとわないのである。氏が20代のころ結核で1年ほど病床にあったということを、本日初めて知った。若いころ病気をしたことで、無理をしない生き方を学んだのかもしれない。

■嫌なこと,不快なことも、天があたえてくれた試練として受け止め、それを乗り越えていくことに、喜びを感じる。そういう生き方をしてきたのだろう。人間、日野原先生のおうでありたいもの。とにかく、この方のでているテレビ番組を見ると、勇気を与えられる。一方、テレビのゴールデンタイムにしばしば顔をだし、品性のないしゃべりを展開している「ゲイニン」や「カイセツシャ」、アホ面の女性タレントを見ていると、気分が盛り下がる。そのため、最近はテレビそのものをあまり見なくなってしまったが。
 修練の結果獲得した芸をもつ「芸人」と「ゲーニン」を、わけて使っていることは、いうまでもない。職人技をもつ「芸人」は一家言もあり、時間を共有して損をすることはないのだが。
by katorishu | 2010-02-22 14:14 | 文化一般
大人の童話 メロドラマ その18
 帰宅したとき、まだ胸の動悸がおさまらなかった。一郎が珍しく弾んだ声で近寄ってきた。
「ママ、喜べ。サッカーの試合で、ぼく二回もゴールしたんだ。城南中学に逆転勝利なんだぜ。奇跡がおこったんだ」
 亜矢は一郎の喜ぶ様子を、遠い景色を見るような気分で見ていた。
 恵美が帰ってきた。亜矢の顔を見るなり、開口一番、
「ママ、出来たよ、英語の検定。完璧だね」
 弾んだ声でいった。
「そう」
「どしたのよ、ママ、元気ないなあ。気分よかったから、ママの大好きな木村屋のあんパン買ってきちゃった」
 恵美は嬉々として包みをあけた。中央のヘソの部分に桜の花をいれたものだった。恵美は珍しく、
「お茶をいれるね」
 といってキッチンにいき、やかんをレンジにのせた。相変わらずスーツにネクタイをしめた作治は、テレビの情報バラエティ番組を見ながら楽しそうに声をたてて笑っていた。 亜矢は作治の背中を注視した。雅也が話していた『アレにまとわりつかないでくれ』という言葉が苦さをともなって蘇った。本当に作治がそんなことをいったのだろうか。確かめたい気持ちと思ったとき、作治の唇が震えた。b0028235_04064.jpg 
「美代さん、わし、まだ朝飯食ってないんだ」
 亜矢の体からすべての力が抜けていくようで、目眩さえ覚えた。
 すでに外は黄昏れていた。池の端の庭園灯が木々を照らし、昼間とはまたちがった風雅な風景を描きはじめた。池にすむ蝦蟇がガーガーと牛の鳴き声のような声を発した。
 中庭に面した駒沢ハウスのリビング一杯に、いつになく明るく華やいだものが漂っている。そこだけ切り取って見たら、それこそテレビのコマーシャルに出てくる、幸せを絵に描いたような「理想の一家」であるのかもしれない。
 見守っていて、殿村亜矢は自分が果たして幸福なのか不幸なのか、わからなくなっていた。ソファの横のサイドテーブルにある電話が鳴った。受話器をとると、一拍あって、
「もしもし」
 女の声だった。
「わたし、川上理恵といいますが」
 亜矢の心臓の鼓動が早くなった。受話器をもちかえ構える姿勢になった。
「失礼ですが、奥様でしょうか」
「はい……」
「じつは、ご主人のことで、折り入って奥様にお話したいことがあるのですが。今、三軒茶屋まできているんです」

 東急世田谷線の三軒茶屋駅の改札口の前が細長い広場になっていて、真向かいのビルの一階に珈琲店コロラドがある。明るく、場所がいいので、いつも満席に近い状態である。
 亜矢がはいっていくと、左手の窓際の椅子に坐っていた痩せぎすの髪の長い女が手をあげた。白黒のチェック柄のセーターを着ていた。
 亜矢はゆっくりと近づいていった。落ち着かなければと思うのだが、喉がかわき、頬もひきつっているようだ。真向かいに坐って、まっすぐに相手を見据えた。目が少々横につり気味で、キツネを連想してしまった。
 川上理恵は故意につくったような微笑を浮かべた。過日、ベランダで目にしたときは、のっぺらぼうに見えたが、化粧をするとなかなか見栄えがし目に光りがあった。こういう女を前にすると、拓郎の雄としての能力が復活するのか。
 コーヒーを前にして二人はしばらくのあいだ無言だった。沈黙に耐えきれず亜矢がいった。
「あなたは……うちの亭主と……そうなんでしょ」
 どう答えるか、注視していると、理恵は、
「ごめんなさい」
 といって頭をさげた。
「あなたねエ、ごめんなさいで、すむと思ってるんですか」
 ヒステリックになるのを抑えなくてはいけないと思うのだが、震え声になってしまう。
「いったい、あなた、ど、どんな」 
 テクニックを仕掛けたの、といいかけて、飲み込んだ。
「ごめんなさい」
 理恵は再びいって頭をさげ、案外落ち着いた声でつけくわえた。
「気のすむようにしてください。なぐってくださってもいいです。わたしは、覚悟していますから」
 開き直るつもりなのか、このオンナ。亜矢の指に力がはいった。しかし、まさか多くのお客がいるなか、なぐるわけにはいかない。この女のどこに拓郎は惹かれたのだろうか。若さにであろうか。エキセントリックなところにであろうか。川上理恵は痩せぎすで胸のふくらみも小さく、それほどセクシャルとは思えず、ややボーイッシュな印象である。考えてみれば、亜矢自身、子供を産む前は痩せぎすで、どちらかといえばボーイッシュなところがあり、このオンナに似ていなくもない。それも亜矢にはいまいましいことだった。

 それより、理恵がなぜわざわざ連絡をしてきたかである。拓郎の意向を受けてやってきたことも考えられ、亜矢は警戒の姿勢を崩せなかった。
「断っておきますけど、わたし、もう別れます」
 理恵の赤く塗った唇が震えた。
「別れるって……」
「わたし、ほかに好きな人がいるんです。でも、そのこと、拓郎さんに、いいだしにくくって。どうやって別れ話をもちだそうかと、ずっと悩んでました」
「だから、妻であるわたしに、いおうってことなの」
「はい。そのほうが角がたたなくていいかなって」
 もう充分すぎるほど角がたっているわよ。
 角がたって、傷んだ傷口に塩をぐりぐりすりこまれているのよ。
 あなたも相当非常識な女。沸きたつ気持ちを敢えて強く抑えこみ、亜矢は平静を装っていった。
「あなたが、拓郎に直接いうべきことでしょうが。なにを考えてるんですか」
「こんなこという立場にないこと、充分わかっていますけど、敢えていわせてください。拓郎さん、奥様のところが一番あっています。黙って、拓郎さんを受け入れてやってください。お願いします」
 理恵はさらに深く頭をさげた。
 あなた、なにを勘違いしているの。
 のしをつけて、差し上げたいのは、こっちのほうよ。
「拓郎さん、二言目には、いうんですよ。カミさんが作った料理がどうのこうのとか。カミさん、結構、ねばり強くて努力家でとか、カミさん、カミさんて。わたし、いつも、あてられてました。拓郎さんに今、一番必要なのは、奥様です。奥様しかいません」
 わたしは拓郎の母じゃあないのよ。拓郎が手にあまって邪魔になったから、お返ししますって、そんな理屈が通ると思っているの?
 胸の奥で言葉が激しく渦巻いていた。素直に口元から罵倒の言葉となって発射してしまったほうがいいのだろうが、なぜか抑制がきいてしまう。
「わたし、父がいないもので、どうしても父性的なものにあこがれるんです。拓郎さんには、デザインの仕事にも、いろいろアドバイスをいただいて、感謝しています。わたし、拓郎さんにあらためてメールします」
「結構よ。メールも手紙も電話もノー」
 強い調子で亜矢はいった。
「わかりました。そうします。失礼しました」
 理恵は長い髪をかきあげながら立ち上がると、くるりと背を向け、出口のほうに歩いていった。
 見守るうち亜矢の中で何かが沸きたち、どう処理をしてよいかわからない。気がつくと、理恵のあとを追っていた。キャロットタワー裏の人けのすくない駐車場の前あたりで追いついた。
「なんですか」
 理恵が気づいて立ち止まった。亜矢より首ひとつ背が高く、当然、肌も艶やかだ。
「やっぱり、わたし、気がすまないので、ぶたして」
 いいざま亜矢は左手で思い切り理恵の頬を張った。パシッという乾いた音で、街路樹の上にいた黒く艶のあるカラスが飛び立った。理恵がなにかいったようだが、亜矢の耳には意味をもった言葉として届かなかった。
 気がすむどころか、いっそう自己嫌悪が募り、生きているのが、ひたすら恥ずかしい気がした。これに耐えなければと思った。耐えて強くならなければ生きていけない。自分自身にそう言い聞かせながら、手で頬をおさえている理恵に背を向け、駅のほうに歩き出した。

by katorishu | 2010-02-22 00:05 | 連載小説