2010年 02月 23日 ( 2 )

 大人の童話 メロドラマ その19 最終回
 駒沢大学駅でおり、階段をあがって玉川通りに出ると、数メートル前を拓郎が歩いていた。前屈みの姿勢で、まるで初老の男のように力なく見えた。こういう男にかつて強く惚れたことがあるのである。そんな自分が、いまいましい。悔しくもあり、情けなくもある。
 あのころは、まだ若かったし今よりずっと見栄えがしたので近づいてくる男は何人もいた。プロポーズもされた。そんな中で、迷いに迷った上、都会育ちながらもっとも野暮ったい感じの拓郎を選んでしまった。選ぶうえで「ある事情」があったのだが、拓郎に話せることではない。
 ただ、あのときの選択が誤りであったとは思いたくなかった。誤りだとすると、これまでの人生が敗北の累積になり、打ちのめされて一歩前にでることもできなくなる。
 
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当初は小さな行き違いであったものが長い時間のなかで拡大され、すでに修復のしようもなくなってきている。それだけは認めるしかなかった。
 手に先ほど理恵の頬を張ったときの、はりつめた感触が残っていた。この感触をストレートに拓郎にぶつけてしまおうか。とぼとぼ歩く拓郎本人はまだ知らないようだが、すでに理恵に用無しとして捨てられているのである。あわれなヤツ。ケーキ屋の前で追いついた。並んで二〇メートルほど歩いたが、拓郎は気づかなかった。
 このぼんくら。
 卑怯者。
 間抜け。
 児童文学者としてはふさわしくない罵りの言葉が体の中で渦巻いた。
「コラ」
 こらえきれなくなって、亜矢が言葉を放った。
「おう。どこへいったんだ?」
 たった今、あなたの愛人に会ってきたのよ、といってやりたかった。出雲雅也とのこともみんなお見通しなんだからね。
 お前は哀れなピエロ。
 若い女にいれこんで弊履のように捨てられたんだ。
 そんな言葉が喉元まで出かかったが、抑えた。もし一言でも口に出したら最後、言葉が言葉を誘発し、すべてが粉々に砕け飛ぶような大爆発に至ってしまいそうな気がした。
 妻としての地位は失ってもいいが、二人の子供の母親としての位置を失うことになる。子供二人をひきとって、一からやり直すこともできないこともないが、自信はない。
 惚けはじめた作治のこともある。拓郎の行為は許せないとしても、作治の世話は別である。少なくとも、一七年ほど一緒に一つ屋根の下でともに暮らしてきたのである。
「こんばんは」
 という声が響いた。振り向くと、駒沢ハウスの住人の銀色の髪をした綾辻夫人が桔梗の花柄の着物姿で立っていた。駒沢病院の前あたりだった。隣には元都庁の役人であったという夫の綾辻康平が立っていて、亜矢と拓郎に軽く会釈をした。ループタイをした姿勢からは、往年のダンディぶりが想像できた。
「お出かけですか」
 思わず、お愛想の言葉が口元をついてしまう。
「はい。三軒茶屋のパブリックシアターで能狂言を拝見しようと」
 白髪の綾辻夫人は上品な声を響かせた。
「それは、楽しそうですね」
 亜矢は儀礼的に言葉を返した。
「仲がおよろしいんですのね」
 綾辻夫人は亜矢と拓郎を交互に見ていった。
「いえ、そんな」
 亜矢は狼狽した。ちらっと拓郎を見ると、拓郎は苦笑いを浮かべていた。笑いの底に流れるどす黒いものを亜矢は想像してしまう。人間は表面柔和に装っていても、心の奥底では何を考えているかわかったものではない。
「それじゃ、失礼いたします」
 丁寧に頭をさげ、綾辻夫人は夫を促すように歩き出した。
 夫婦で仲良く、能狂言の舞台を観劇か。拓郎は古典芸能などほとんど興味をもっていないし、あんな老後は、私たちにはもう永遠にやってこないだろう。老後どころか、拓郎との関係は今年いっぱい、いや今月いっぱいもつかどうか。

 駒沢公園の表門を左手に見ながら、駒沢ハウスの前まで、亜矢と拓郎は無言で歩いた。門の前で拓郎は立ち止まり、
「運動不足だな。犬でも飼うか」
 そういって、大きく伸びをした。バーカ。尻を思い切り蹴飛ばしてやりたい衝動がわいた。不意に拓郎が立ち止まった。なぜか夜空を見て、
「明日、晴れるかなア」
 といった。このヒト、もしかしてすでに理恵から別れ話を宣告されたのではないかと亜矢は思った。
 目の前に瀟洒でモダンなデザイナーズ・ブランドの建物が見えてきた。建築雑誌に写真入りで紹介された建物だが、なにやら薄っぺらな映画のセットのように見えてきた。
 拓郎が中庭にはいっていって、七分咲きの桜の前で立ち止まった。亜矢もつられてはいっていった。ファミリー用の部屋に入居している影佐家の次郎と有佳の姿が、カーテン越しにシルエットとなって垣間見えた。一緒に住む有佳は、ときどきテレビなどに出ている女優である。有佳のシルエットがすっと影佐のシルエットに近寄りひとつになった……。

 拓郎は桜の木の傍らにあった木刀を手にとり、素振りの真似をした。以前、運動不足を補うのだといって、木刀を買ってきてときどき思い出したように素振りをしているのだった。
 拓郎は小さく気合いをいれながら、木刀をヒュッヒュッと風を切って振るった。闇の向こうに、誰を見ているのだろう。中庭の庭園灯に浮かぶ顔には憎悪がこもっているようでもあった。
 拓郎の木刀が今度は亜矢のほうに向いた。亜矢が身構えると、拓郎は大上段に構えて、鋭く振り下ろす。そうして一歩こちらに踏み込む姿勢だ。思わず亜矢は目を閉じた。昔、小田原の実家の剣道場で、五段の段位をもつ父から真剣による居合い抜きの手ほどきをうけたことが、脳裏をよぎった。想像の中で亜矢は父が使っていた居合い用の小刀を腰に、拓郎と相対した。
 拓郎の手にしていた木刀は、月光をあびて冴えかえる真剣に変わっていた。青眼に構え、にじりよってくる。触れあいそうな近さになったとき、亜矢は父に教わった要領で腰をためて小刀を抜きざま、相手の胸から肩に鋭く突き上げた。手応えがあった。数秒後、拓郎の一七〇センチの体はいったんのけぞり、それからゆっくりと丸太が倒れるように崩折れた……。
 目をあけた。拓郎が背を丸め膝を屈している。蝦蟇の夫婦をみつけて、手をさしのべているのだが、崩折れる寸前の姿に見えた。
「二〇年か」
 と亜矢は拓郎と蝦蟇の夫婦を見比べながら思った。長いようでもあり、短いようでもある。喜びも怒りも哀しみも楽しさもすべてひっくるめて、殿村家という御輿を一緒に汗を流してかついできた。近所でも評判の「仲のよい」相棒であったが、とうとうこういう地点にまできてしまった。
 桜の下にいる相棒を、現実に斬って捨てるべきか、どうか。
 自分が今、人生の重大な岐路に立っている、と亜矢はひりひりする気持ちの底で思った。
                      了

by katorishu | 2010-02-23 22:49 | 連載小説
 2月23日(火)
■09年度、ネット広告費が新聞広告費を上回ったという。善し悪しは別にして、これが時代の流れである。ネットつまりインターネットが、ボーダレス化時代の主流となっていくに間違いない。ただ、まだこのメディア、できてからあまり時間がたっていないし、人でいえば「幼稚園」程度である。これから試行錯誤を積み重ねながら、向上していくのか、あるいは人の精神の劣化に貢献するものなのか。人類の未来がこのメディアの運用方法にかかっているといっても過言ではない。

■地方でミュージカル公演をつづけてきた「ふるさときゃらばん」が破綻したという。国交省の税金無駄遣いの一例としてマスコミにたたかれたことが、多分破綻の大きな原因だろう。億単位のお金が国交省からはいっていたという。正しい使い方、地方文化の本当の意味の向上に使われていれば税金を投入しても問題はないと思うのだが。果たして内情はどうであったのか。

■新聞に週刊朝日の広告が載っているが、その特集に「1年後日本経済は破綻する」と大きな文字が躍っている。これから外にでるので買って読んでみよう。破綻はハイパーインフレとう大津波とともにやってくるに違いない。素人考えだが、以前からいずれハイパーインフレがやってき、国民生活は破綻し、日本の「アルゼンチン化」が進むと思っていたが。

■この責任を民主党政権にのみ帰するのは気の毒である。過去20年ほどの自民党政権がつくってきた膨大な財政赤字がもたらすものであるのだから。旧大蔵官僚をふくめ、「経済失政」をつくったマスコミもふくめた指導層は、結局なんの責任もとらず、目下「政治とカネ」の問題ばかりに焦点をあて、迫り来る国家経済の大破綻への効果的な対処を真剣に考えていないようだ。日本は、中国清朝末期、ソ連邦末期とよく似てきたな、とあらためて思う。
by katorishu | 2010-02-23 09:57 | 新聞・出版